社長のBLOG
拝啓 東京農業を応援いただいている皆様
東京都が「感染防止協力金」を、営業自粛に応じた事業者に配るということです。
言うまでもなく、東京都が機動的にこうした施策を打てるのは、財政の「余裕」があるからでしょう。他の自治体にはあまりそれがないようです(専門家ではないので、詳しくは分かりませんが)。
こういうニュースを見るにつけ、この新型コロナの状況下、いろいろな「余裕」について考えさせられるこの頃ではないでしょうか。
医療資源の余裕。助成金窓口の係員の人数の余裕。公共交通機関の余裕(余裕がないから満員電車になる)。
そしてもちろん、私たち企業や家計のお金の余裕。
すべからく、余裕、余剰があった方が、危機には強い。
もっとも自由資本主義においては、経費を削減して余裕を少なくしていくことが求められ、それが消費者や株主のベネフィットにつながっているわけです。また、社会保険料を含む徴税が強制的である以上、そして自治体財政がきつい以上、医療機関や公的機関には、コストを抑える節度がつねに求められます。
余裕をなくしていくことが求められる社会の仕組みは、少なくとも平時には、市民のベネフィットの総量を増やします。なので、余裕がないことは基本的にはいいこと、のはずです。
とはいえ、医療機関の資源の余裕次第で、新型コロナにどれだけ対応できるかが左右されることは、どうも間違いのない話のようです。平時にどれだけの余裕を残しておくか、これはとっても難しい話です。
さて、その点は農業も同様です。
以前のブログのなかで、「畑のなかの作物廃棄はフードロスではない」ということを説明しました。
これ、まさに農産物における「余裕」なわけです。
いざとなれば出荷できる。でも平時には出荷しない。畑のなかの作物廃棄は、平時には倉庫で眠っている人工呼吸器と同じです。
「倉庫の人工呼吸器を売ってしまう」=「作物廃棄をフードロスと捉える」、という施策は誤りです。
まあ、農産物の世界は、しょっちゅう平時ではなくなるんですが。
春に雹が降ったり、梅雨が長かったり、大きな台風が来たりする(昨年はこれらすべてが1年間に発生。なんということか!)。
であるからして、畑で出荷しきらないくらいの作物があるということは、日本全体で考えれば災害があっても飢えないための余裕を持っている、と考えることができます。
農家からすれば、多少の凶作でも売上が落ちないようにするために多めに作るのは、当然の経営上のリスクヘッジであり、一方で大豊作だったときに販路が不足するのはやむを得ないことです。
そうした背景があって、青果市場では、豊作・不作によって、作物価格が乱高下します。供給が多くなりすぎると、こまつ菜1束が20円(なんということか!)といったことも起きてしまうわけです。
ということで、どうせ安値になっちゃうしということで、農家が余裕をどんどん削っていくと、本当の凶作時に困ったことになります。今以上に、作物価格が高騰してしまうやもしれません。
それを農業が暴利を取っていると言われては、平時の安値が浮かばれません。現在、マスクの高値取引は禁止されていますが、同じようにキャベツ300円以上は違法ね、などと言われてしまうと、いやいや、普段は下限のない安値で買っていたのにそれはなくね?となってしまう。
で、市場の仕組みをいきなり変えるのは現実的ではない(そして産直ECサイトに安定供給を担わせるのは荷が重い)ので、やはり政府が生産者に普段から個別補償をしていって、農産物生産の「余裕」を作って備えるということが必要なのではないでしょうか。
もちろん財政が厳しい以上、バランスが難しいところですけども。
この危機に、社会の「余裕」を見つめなおしてみると、農業政策はそんな結論になるかなあ、と考えています。
株式会社エマリコくにたち代表取締役。
1982年12月27日生まれ。
農地のない街・神奈川県逗子市に育つ。
一橋大在学中に、国立市にて空き店舗を活かした商店街活性化活動に携わる。2005年に一橋大商学部卒業後、三井不動産、アビーム・コンサルティングを経て、国立に戻る。NPO法人地域自給くにたちの事務局長に就任し、「まちなか農業」と出会う。2011年、株式会社エマリコくにたちを創業。一般社団法人MURA理事。東京都オリジナル品種普及対策検討会委員(2019年度〜2021年度)。