社長のBLOG
拝啓 東京農業を応援いただいている皆様
先日の『カンブリア宮殿』では、スーパーマーケット「サミット」が登場していたが、「サミット」は映画『スーパーの女』(1996年)のモデルとなったらしい。
番組のなかで『スーパーの女』の有名なシーンが紹介されていたが、それは「リパック」をなくすという場面で、ベテラン社員の反発を受ける。「リパック」というのは、肉や魚のパックをもういちどやりなおすことで、製造日を新しくパックした日に修正するということだ。こういうことは、かつては当たり前に行われていたという。
『スーパーの女』では、ベテラン社員の反対にあうものの、現場のパートさんはこれからは正直な商売ができると言って歓迎する。
さて、ひるがえって青果販売であるが、前にも当ブログに書いたように、鮮度明記が私たちの直売所の売り、差別化ポイントだ。
すなわち、品物には入荷日が書いてある。
入荷翌日になったものは、即値下げが断行される(イモ類などは除く)。そうして店頭にはつねに鮮度高いものしか存在しないということになる。
鮮度は、美味しさということもあるけれども、その日に全部食べられられない場合も多いと思われるので、日持ちという面でも大事である。
食品の「顔が見える」というのは、よく言われることである。しかし、顔が見えているからこそ、鮮度も見えているべきではないか。それが私たちのビジネスの差別化の原点である。
5W1Hでいえば、WHO=生産者やWHERE=生産地、HOW=栽培方法は分かるのに、WHEN=いつ採れたか?が分からないのはもったいないであろう。
そう、差別化がすべての原点である。
サミットの一部店舗では、新入荷の調味料やレトルト食品を週替わりで試食できるコーナーがあるという。そういう取り組みもふくめてワクワクする店舗になっている。
他の人と同じ事やってもダメ。まして零細企業はそうだ。
差別化といえば、街においても差別化は大事である。これから人口が減っていく時代、選ばれる街になるには、平々凡々な街ではだめで、他の街とここが違うという特徴が必要だ。
その意味で、たとえば国立市の場合には、駅前に街のシンボルである「赤い三角屋根の駅舎」が帰ってくるのは歓迎すべきことだと思う。大正時代に建てられた古い駅舎で、中央線の高架化を機に一時的に撤去されていた。
目下、再築工事中。すでに赤い屋根が見えるようになっている。来年春の竣工だそうである。
国立においては、堤康次郎が類まれなる構想でもって街を作り(それに際してはいろいろとトラブルもあったようであるが)、幅の広い大学通りをはじめその都市計画が現代でも生きていて差別化ポイントとなった。じっさい、大学通りを見てこの街に住むことにした人は相当数いる。
国立の駅舎で少し感傷的な気分になるのは、当社の社名の由来にもある。
当社は今では国立だけが活動範囲ではなく、国分寺、立川、日野を拠点とし、納入先のスーパーは港区や世田谷区にもあるが、それでも社名に「くにたち」を残している理由がある。それはこの駅舎が立つ大正の時代に、堤康次郎が「国を立てる若者が出てくる」という意味も込めて町名を付けたと伝わっているからである。
世の中に新しいモノゴトを生み出しつづけた堤康次郎こそ、差別化の権化というべきだが、エマリコもまたそうでありたいと思い、「くにたち」の社名を冠しているのだ。
エマリコくにたちも創業から8年が経ち、どのようにさらなる差別化を図っていくのか、あらためて考えを深める時期に来ている。もちろん鮮度明記は大事なポイントであり続けるだろうが、競合に勝ち続けるには十分ではない。
赤い三角屋根の駅舎が帰ってくるころには、「なるほど、そこが新たな差別化ポイントか」と多くの人に言ってもらえるような状態にしたいと考え、このところいろいろと試行錯誤中(秘密)である。
請うご期待。
その折には、直売所を舞台とした映画を作る人がいたら、ぜひモデルとして取材してほしいな笑。
株式会社エマリコくにたち代表取締役。
1982年12月27日生まれ。
農地のない街・神奈川県逗子市に育つ。
一橋大在学中に、国立市にて空き店舗を活かした商店街活性化活動に携わる。2005年に一橋大商学部卒業後、三井不動産、アビーム・コンサルティングを経て、国立に戻る。NPO法人地域自給くにたちの事務局長に就任し、「まちなか農業」と出会う。2011年、株式会社エマリコくにたちを創業。一般社団法人MURA理事。東京都オリジナル品種普及対策検討会委員(2019年度〜2021年度)。