社長のBLOG
拝啓 東京農業を応援いただいている皆様
遅ればせながら。
佐藤琢磨が、インディアナポリス500マイルレースを勝った!!すごい!!
私の青春時代のスポーツ選手といえば、佐藤琢磨です。
F1デビューは2002年で、私は大学2年生でした。そのあと、佐藤琢磨のF1出場レースはほぼすべて見てきました。
日本人ドライバーがいない時代を経た当時のF1ファンからすると、イギリスF3チャンピオンでマカオGP制覇(もちろん日本人初)した日本人ドライバーを応援しないわけにはいかなかったのですが、彼の性格もまたファンを虜にしました。
有名なエピソードがあります。レーサーの登竜門である、ホンダのレーシングスクールの選考で、他の入学希望者よりも年かさだった琢磨は書類選考だけでは落とされるだろうと。
そこで、本来、書類選考だけだったのですが、面接選考をするように強く要望、ホンダが折れて面接を行い、入学を勝ち取ったということです。
琢磨が年かさだったのは、高校時代は自「転」車競技をやっていたからで、インターハイで優勝するほどの実力。
で、大学生になってからカート(自動車)を始めるのです。遅っ!
F1ドライバーにそんな経歴の人はもちろん皆無なわけで、親が金持ちで小学生のころからカートに乗っている選手が大部分なのです。
で、カートを始めて5年後にはマカオGPを勝つ。早っ!
日本人らしい柔らかさと、日本人らしからぬファインティング・スピリットを持ち合わせた人。
で、彼の座右の銘が「No Attack, No Chance.」だというのは、レースファンの間では有名な話です。
今回の佐藤琢磨の結果の伏線には、2012年のインディ500レースがあります。
この年、レース終盤に2位を走っていた彼は、そのままでも日本人としては偉業と言えるのに、残りわずかというところでトップの選手にオーバーテイクを仕掛け、その結果スピンを喫してリタイアになっていまったのです。
レース後に語ったところでは、「1位になることしか考えていなかった。」
人生にはいろいろな生き方があるけど、ベンチャー企業であるからには、この気持ち、
つねに上を目指すスピリットは失ってはいけないと思っています。
そして、重要なことは、最終的に勝てばよいということかな、と。スタートラインに立つのが遅くても構わない。失敗することもあるだろう。ただ、勝つまでチャレンジすること。
単純に、それだけのことであって、それだけのことが難しいのですが……。
さて、創業6年のエマリコくにたち、どこまで行けるのか。
株式会社エマリコくにたち代表取締役。
1982年12月27日生まれ。
農地のない街・神奈川県逗子市に育つ。
一橋大在学中に、国立市にて空き店舗を活かした商店街活性化活動に携わる。2005年に一橋大商学部卒業後、三井不動産、アビーム・コンサルティングを経て、国立に戻る。NPO法人地域自給くにたちの事務局長に就任し、「まちなか農業」と出会う。2011年、株式会社エマリコくにたちを創業。一般社団法人MURA理事。東京都オリジナル品種普及対策検討会委員(2019年度〜2021年度)。