社長のBLOG
拝啓 東京農業を応援いただいている皆様
今回はトリビアのオムニバス。
多摩ブルー・グリーン賞の表彰式で、関満博先生(一橋大名誉教授)がおっしゃっていたことが興味深かった。
「多摩は日本有数の工業出荷額、あるいはハイテク産業の集積地だが、その背景には織物産業による歴史的な技術集積がある。江戸時代より八王子や武蔵村山、青梅などで昔から織物工業が盛んで、いまは大きな産業とは言えなくなってしまったが、その技術的な集積が現在の多摩の発展につながった」とのことである。
多摩エリアは技術の高い製造業がたくさん集積しているが、そのバックボーンには織物産業があったとはなんと興味深いことだろう。
というのも、織物産業が盛んであったのは、ほかでもなく絹作り、つまり養蚕が行われていたからで、すなわち農業の歴史とも無縁ではないのである。
実際、当社のお取引している農家でも、昔は養蚕をやっていた家は少なくない。
住んでいる人以外はあまり知らないかもしれないが、八王子は「桑都(そうと)」と呼ばれ、養蚕、そして絹の流通において一大都市であった。その歴史は平安時代にさかのぼるという。
八王子には「桑都」を冠した社名も散見され、そのニュアンスは地元への誇りを含んでいる。
1年くらい前の『がっちり!マンデ―』で、山梨県の特集があったのだが、山梨県はネクタイの生産量が全国1位ということだった。
意外だったけど、考えてみれば山梨はかつて絹の生産が盛んだった。
で、調べてみたら、ネクタイの生産量は、山梨県の次は八王子で、全国第2位なのだそうである。
織物産業は多摩のメイン産業ではなくなったが、いまでも連綿と続いている。
八王子や山梨の東部の丘陵地、中山間地域は、野菜畑や田んぼに適しているとはいえない。だから桑が生産された。
私が小学校の社会の授業で習った地図記号には、「田」や「畑」などと並んで「桑畑」があったと聞けば、今の学生世代はびっくりするだろう。それだけ各地に桑があったということだろう。
といっても、さすがに私が小学生のときにも桑畑はほとんどなかったけども。
そうだ、思い出した。
8年前『くにたちグリーンマーケット』という名前で、週1回の野菜のテント販売をはじめたのが当社の発祥なのだけど、その時は桑の葉茶を売っていた。もちろん八王子産である。
(創輝という会社さんで、ネットで購入できます。懐かしいなあ。)
http://www.sohki.net/fs/sohki/c/sohkioh
『桑の青汁 創輝王』『万能桑パウダー』
いま桑の葉の健康効果が注目を集めていて、八王子では7軒の農家が12か所の農地で桑を育てているそうである。(創輝のWEBサイトより)
多摩のハイテク産業、そして桑畑が、平安の昔と繋がっていると思うと、なんか不思議な感覚である。
時間ができたら、農家さんをまわって、多摩の野菜生産と養蚕の関係などもっと調べてみたいと思う。
何年後になるかわからないけど、報告をお待ちいただきたい。
株式会社エマリコくにたち代表取締役。
1982年12月27日生まれ。
農地のない街・神奈川県逗子市に育つ。
一橋大在学中に、国立市にて空き店舗を活かした商店街活性化活動に携わる。2005年に一橋大商学部卒業後、三井不動産、アビーム・コンサルティングを経て、国立に戻る。NPO法人地域自給くにたちの事務局長に就任し、「まちなか農業」と出会う。2011年、株式会社エマリコくにたちを創業。一般社団法人MURA理事。東京都オリジナル品種普及対策検討会委員(2019年度〜2021年度)。