株式会社エマリコくにたち

拝啓、うまい!に背景あり

社長のBLOG

2022.10.09

我がまちの昔の記録という贈り物

Photo

拝啓 東京農業を応援いただいている皆様

写真は、国立市で保存している古民家です。

今日はここで、くにたちの暮らしを記録する会の佐伯安子さんのお話を聞くイベントに参加してきました。むかしの唄の披露もあって、興味深い時間でした。

民具を収集したり地元の歌をつなぐ活動をしている佐伯さんが嫁いで来たのは、1959年のことで、まだ水道が通っていなかったそうです。
井戸のポンプをぎこぎこと動かして、お風呂の水を溜めた。いやあ、たいへんです。

佐伯さんは言います。
「苦労を苦労と思わない時代だった。」

僕らは電気・ガス・水道が揃っているのが生まれたときから当たり前の世代ですが(今の子供たちはスマホが当たり前なのですね。うーむ)、そうしたものがなかった時代も、じつはそんなに昔のことではない、ということに改めて気づかされました。

棒打ち歌というものがあって、これは麦を筵の上に置き長い棒で叩いて脱穀するときに歌うのだそうです。(棒は途中で折れる部分があって遠心力で叩くようになっている。)
「照れふくくもれ 箱根山 ホイホイ / 晴れたとて お江戸が 見えるではない」
という風な歌い始めです。なんだか不思議な歌詞。

で、この棒打ちという作業がたいへんで、麦の穂には野毛という細かいけど固い毛が沢山ついている。
穂を思いっき叩くわけなので、めちゃめちゃ野毛が飛んでくるわけです。
しかも、麦を収穫するのは夏。
汗まみれのところに野毛が飛んできて、痛いわ痒いわ、ほんとうにたいへんな作業なのだとか。

その辛さを忘れるためにも、みんなで歌いながら作業をするのですね。

そんな時代も、さほど昔ではなく、戦後にもふつうに行われていた風景だったということに、いささか驚きました。
この古民家だって、佐伯安子さんが国立に来た当時、バリバリ現役だったのです。

時代というか、街の様子、人々の暮らし、生活のしきたりが、あっと言う間に、すごいスピードで変わってきたのですね。

くにたちでは、民具調査団やくにたちの暮らしを記録する会によって、昔の国立が記録され語り継がれてきたということです。
地道で地味な活動で、たくさんの市民がめちゃくちゃ応援してくれるというものではないと思います。
でも、だからこそ、価値があるというか、偉業、と言ってもいいかと思います。

そのあたりは、現在開催中のくにたち郷土文化館特別展『歩いて集めて見て聞いて -消えゆく暮らしを記録せよ-』にぜひ足をお運びください。(会期:10月8日(土)〜 11月23日(水・祝))

https://kuzaidan.or.jp/province/kikaku/autumn-exhibition202209-1/


(写真:特別展で展示してある養蚕道具。当然ながら国立でも養蚕は大事な収入源だった。)

最後に、佐伯安子さんがくにたちの暮らしを記録する会の機関紙に書いた文章――平成元年に書かれたもの――を一部紹介したいと思います。

「時代は待ったなしに過ぎ去っていく、とかく新しい物事に目が移りがちな今日だからこそ、ふるさとの歩みは大切にして親から子へと語り伝えていただきたいと思います。
暮らしの中に生きつづけてきた民具を私達会員が、汗と誇りにまみれて調査収集してきたことは、これからの時代を背負って行く若い世代の人々に、ふるさとの昔をつげられる贈り物だと思っています。」

菱沼 勇介(ひしぬま ゆうすけ)
プロフィール

Photo

株式会社エマリコくにたち代表取締役。
1982年12月27日生まれ。
農地のない街・神奈川県逗子市に育つ。
一橋大在学中に、国立市にて空き店舗を活かした商店街活性化活動に携わる。2005年に一橋大商学部卒業後、三井不動産、アビーム・コンサルティングを経て、国立に戻る。NPO法人地域自給くにたちの事務局長に就任し、「まちなか農業」と出会う。2011年、株式会社エマリコくにたちを創業。一般社団法人MURA理事。東京都オリジナル品種普及対策検討会委員(2019年度〜2021年度)。

PageTop